椿日記
-チェコにて-まだ性懲りもなくプラハにいます。

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ツリーがきた přišel vánoční stromek
vanocni trhy 2007-1
クリスマスツリーが来た。
毎年、チェコの森からツリーが運ばれてくる。
枝が払われ、デコレーションが施される。
週末、12月1日土曜日が点灯式。アドヴァントに入る。

vanocini trhy 2007-2
それに向けてクリスマス・マーケットも作られる。
チェコではクリスマス25日を過ぎてからも何日かはマーケットが続けられる。
これから一ヶ月、広場はクリスマスに彩られる。
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【2007/11/28 23:15】 チェコで暮らす | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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外国人警察 ビザ受理後は登録へ
ビザを受け取りに続いてのダンジョンは「外国人警察での登録」。
これは、どこの外国に行ってもやらなければいけないことだであって、多少の差(雲泥の差)はあれども、しなければならないことには変わりはない。
(アイルランドはラクだった...)

ということで、早朝5時半、外国人警察に並ぶ。
私が前回この作業をしたのは2年前、初めてチェコに来たときのことだ。そのときから外国人警察の場所も変わった。
相変わらず、嫌な場所だと一様に言われているけれども。当然といえば当然でこんな場所好きな輩がいたらお目にかかりたい。
友人と一緒にいくはずだったが、早朝トラムによるプチ・アクシデントで一人でバスに乗り、向かった。
「スーパーの上」にある、という話だった。
警察がスーパーの上にあるというのも、なんだか変。

今日は7時半から開く。
...曜日によって開く時間が違うというのもどうだろうと思うのだが。所詮、7時だろうと7時半だろうと長時間待たなければいけないことには違いない。
周りにいるのは主にロシア語グループ、そしてベトナム人、そしてよくわからないアジア人。大半がロシア語グループだ。ロシア語グループとは要は、ウクライナやらなんやらも含めたロシア語を話す人々。
これがまた後ろからやってきては、さりげなくもさりげなくなくも横入りしようとする。当然のように荒んだ雰囲気。
こんななかに一人で待つなんて嫌だけれども、今回は(可愛い)日本人女の子4人で並んでる。気持ちが楽。
人に迷惑をかけるといけないとか、自分ひとりでなんでもやらなければ、なんて堅く思う必要は全くなくて、助け合えるときは助け合えばいい。
一人が言い出した。
「「街でムカツかなくなる方法って知っている?」ってルームメイトが言うんだ。」
「ムカっときたら、コイツの前世は虫だったって思うんだって」
...大爆笑。

6時、雪がちらほらと舞いはじめる。
寒い。
この時期に並ぶのは辛い。

7時近くになると、警察の内部にも明かりが点り、人の気配がする。
後ろから後ろから人がやってきて前の人の塊が大きくなってきた。
それにつれて、友人たちとも間隔があく。コーナーの内側に立っていた私は段々と前のほうに。整理の警官たちが出てくる。
そして、ドアがあく。

思いのほかしっかりと、少しずつ人を建物内にいれる警官たち。
割り込んできた人たちをいれると、真面目に待っていた人たちから文句がでる。いままでロシア語を話していた人たちが、突然チェコ語。
建物中に入っても、2階まで階段であがって、その間に、腕を引っ張られ「アジア人のくせに!」とわけのわからないことを言われ(ロシアグループに)、完全に友人たちと離れた私だったが、「何ですって!?」と言い返すと何も言ってこない...(意外と弱い...)。
そんなこんなで私がゲットした番号は20番。
友人たちは35-40番。
ちなみに番号を書いた紙は警官からの手渡し、更に自分の名前まで書き込まれた。
これまで、この紙を売る、というセコイ商売をしていた人たちがいたけれど、これではできないだろう。

申請用紙を記入して待つこと数分。
見渡してみると、番号1枚につき一人、とも壁に貼られている。
あっさりと私の番がやってきた。
最近は保険のせいで登録ができなかった、とか登録に1000コルナ(6000円相当)の証紙が必要だった、などという情報も入っていたのだが、何も必要なくあっさり、OK。
私は、こういうときに運がないほうで、常に引っかからなくてもいいところで引っかかる。
珍しい。

移転してから外国人警察にきたのは初めてで、
以前の暗い古い建物、狭い廊下、個室、から明るい蛍光灯、銀行のような窓口形態になり、格段によくなったように思える。
この窓口形態、何がいいかといえば密室で行われるやりとりもしずらいだろうし、何か係員がわからなかったときにすぐ隣に訊けるというのもいい。
チェコ側は変わったけれど、変わらないのは来ている人々。先日のポーランドでのバスに乗車できなかったことも記憶に新しい。
先進国か発展途上国か、という差はここにある。

尤も良くなったと言っても、チェコ語がわからないと辛い、というのは相変わらずのようで、
何が嫌と言っても、何時間も並んで、ようやく窓口にたどり着き、そこで意味もわからず書類を突き返されるほどいやなものはない。
彼らは自分のブースに「JUN...LEDNA(1月) FEB...UNOEA(2月)...」という紙を貼り付けていた。
痛い。

【2007/11/26 22:41】 チェコでの記録 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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Dresdenへ ビザをとりへ
ドレスデンにビザを取りに行く。
受け取りは11時までに行かなければならない...ということは即ち、6時台の電車に乗らなければならない。
10時すぎにはドレスデンに付き10時半前にはビザを手にすることができた。
元々、ビザができた、というメールをもらったうえで来ているわけだけれど、手にするその瞬間までは安心できない。今年、東京でビザを発行してもらった人が痛い目にあっているのを知っている。

ほっと安堵して、とりあえず街の中心へ。
教会に入り、休憩。
お昼にはまだ早い。なんというか、時間が中途半端。
早くもレストランを物色しよう試みるも、建物の中が小さなモールになっているのを発見。雑貨屋さんやら、デリやら、クリスマス用品の店やら。
西側の空気を吸い(...ドレスデンは旧東だけれども)、シュトーレン(ドイツのクリスマス菓子・ドレスデンが有名らしい)を買うべきが迷いながらも、結局買わず。
ランチは危険なイタリアンを選択。
しかも、スパゲッティ。
が、ちょっと麺が太いものの、美味しかった。
ズッキーニとムール貝のスパゲッティ。
ズッキーニが、美味しい。
海外で食べる野菜は瑞々しくて、とても美味い。
チェコは乾燥しているし、太陽の日射時間が少ないのが原因だろう。ワインに当てはまることが野菜にも言える。
ビザのために来ている、という気分からか、無事に受理できた安堵からか、つい、長居をしてしまう。ビザはもらえたけれど、休みあけの月曜日には外国人警察に登録に行かなければいけないとおもうと、完全には安心できない。そんな気持ちも大きいのかもしれない。
結局カフェも頼んだ。

Dresden twice

広場の工事。このキャラクターよく観る...。工事会社?それとも警備会社?
街の中心部の広場。いつ、工事は終わるのだろう。いつ、始まったのだろう。
3回目になるドレスデン。
多分、もう来ないだろう。

漸く思い腰をあげ、友人たちは、ツヴィンガー宮殿の美術館に行き、私はドレスデン城の美術館へ。
何があるのかあまり知らずに行ったのだが、なかは螺鈿や象牙でできたミニチュア細工。なかなか私好みだ。
美術館でもなんでも、入ればじっくり観るのがすきなのだが、どうもなかなか精力的に行こうという気にならない...。

前回と同じように、スーパーを物色。
あんまりお腹のすいていない私は、駅のパン屋さんでクロワッサンを購入。
またも、電車のなかでビールの栓を抜く音を響かせてしまった。
周囲にいたのは英語人たち...そして彼らもビールを買いに行った。

【2007/11/23 23:30】 チェコから海外へ | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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Auschwitz
さて、何故クラコフなのかといえば、所謂「人類の負の遺産」であるAuschwitz アウシュヴィッツを一度見てみたかったからである。

アウシュヴィッツは聞いてわかるとおり、ドイツ名であってポーランド名ではOswiecim オシフィエンチムというらしい。この強制収容所を指すわけではなく、地名である。
クラコフのバスターミナルからOswiecim Museum 博物館までバスで1時間30ほど。

博物館の日本人ガイドの方に元々聞いていたバスの時間と、クラコフ市内のインフォメーションで聞いたバスの時間が違った。...良くあることだけれど、仕方がないのでバスターミナルまで聞きにいく。ホテルも信用ならないし、こういうときは面倒でも自分で見にいくしかない。

朝10時、Owsiecim museum行きのバスがでる。
krakow バスターミナル1

krakow バスターミナル2

バスターミナルは新しいようで、とても綺麗だ。電光掲示板がつき、わかりやすく、待合所も明るく、暖かい。セキュリティも詰めており、こういう場所にありがちな浮浪者がいない。
10時、ほんの少し前ようやくバスが来る。
古いバスだ。
と、ポーランド人が引率するどこの国のものだかよくわからない若い人々の団体がやってきて、待っていた人を押しのけて乗車した。この時点ではよくあることだ、と思い大して憤りもしなかったが、これが後で、またやらかしてくれることになる。

バスはほぼ時刻どおり博物館前についた。
寒いというのに、かなりの観光客がいる。
Auschwitz 1

Auschwitz 2

アウシュヴィッツはここと近くのビルケナウ、そしてもう一つの収容所を持って機能していたそうだ。
そのなかでこのアウシュヴィッツが一番、「博物館化」して保存されている。
...正直に言って、その往時を想うのは難しい。
ここが博物館となったのは、戦後直後からのことだそうだ。
元々はポーランド軍の兵舎として使用されていた建物だという。だから、想像していたものよりもレンガ作りのしっかりとした建物である。各建物ずつ、展示ようになっている。
「地球の歩●方」には私用目的での写真撮影自由、と記載されていたが、館内は撮影禁止だった。

いわゆる、ガス室、は有名な話だが、それを行う前に髪の毛やら靴やら、メガネやらともかく使えそうなものは全て外しておく。
そして、それが逐一書類として残されていた。
秘密書類、と、書かれている。何時、メガネが幾つ、すべてが事細かに。何よりもそれに圧倒された。

話によると、元々ナチスは虐殺をしようと考え、この差別を始めたわけではなく、ともかく、自分の領土より遥か遠くへ、と思っていたようだ。戦況の悪化、またあまりに人数が多く収容しきれなくなったために始まったのが、大量殺人。最終的には列車で着くなり、ガス室行き。
対象となったのは、ユダヤ人だけではない。ロマ、同性愛者、精神異常者、政府叛乱分子。
...収容所生活のなかで言語の壁はなかったのだろうか...。
収容所があったのは、ドイツ、チェコ、ポーランド。ここはいわば、最終収容所。

ヒトラーは民主主義の下に生まれた独裁者だ。
戦後のチェコが自ら社会主義を選んだようにドイツ国民がヒトラーを選び、ヨーロッパはそれを認めた。
私、個人の意見としては歴史は必ず必然の流れにのって動く。
だからこそ、何故、ユダヤ人やロマがスケープゴートになったのか、知りたいと思う。
残念だったのは、綺麗事しか聞けなかったことだ。
「これだけのことをされて、被害者に理由を求めるべきではない」というのは、ことを根本から見ていないように私は感じる。
現代においても、ロマは嫌われている。
友達も一様にロマに物を盗まれたり、という目にあっている人が多い。事実、私もよくロマらしき人々に狙われることもある。
それを、ロマは家と外で言語が違う、だから仕事がないから、という理由で認めていいものだろうか。

強制収容所がポーランドやチェコに作られたことも偶然ではないだろう。
勿論、ポーランドはドイツと長い間、関係があった。しかし、ナチスに協力する下地があったのだろう。
多くのナチス叛乱分子も収容された。
しかし、被害者の面だけを見てはいけない。

これだけのことを行った当時のドイツ人は冷静だ。
狂気をはらんだ何かおかしいものなのかもしれないけれども、自分たちに如何に精神的にも体力的にも負担をかけないように、全ての汚れ仕事を収容者たちにやらせている。常に中央からの指令、計画に沿って進められている。
歴史をみるのに感情はいらない。
違う時代の観念から感情的にものをみることくらいバカらしいことはない。
そして感情的にみている限り、歴史は繰り返す要素を孕んでいる。


ビルケナウに行く。
アウシュヴィッツ-ビルケナウ間には無料のシャトルバスが運行されている。

アウシュビッツよりも圧倒的に広い。
Auschwitz 5

ここはレンガ作りではない。木造の如何にも寒々とした建物だ。
多くの建物が既に老朽化し、壊され、煙突のみが雪の間から覗く。
Auschwitz 3

ゲートからまっすぐ続く、鉄道の引込み線。
ここはまだ半分の地点。
ここに到着した列車はこの線路ギリギリの長さだったという。
このためだけに作られた線なのだろうか。
Auschwitz 6

戦時のなか、軍事に影響のないようにこんなところまで列車を走らせる。どうしてそこまでして、行ったのか。

ここにも当然ガス室があったが、それらは終戦間際、ナチスによって爆破されている。
Auschwitz 4

手付かずのまま残っているが、それらは雪の中だ。
まだ、初冬だというのに、寒い。
こんなところに防寒もなくいたら、たしかに凍死するだろう。
それでも生きようとする、最後の瞬間まで生きようとする生命、人間の心理。

余談ながら、アウシュヴィッツを訪れる日本人は少ないと言う。
クラコフまで来ても、ここに来ない、そんなこともあると言う。
実際のところは、私にはわからない。
...一つにはポーランドという国に対する関心のなさがあげられると思う。
そして単純に遠い。クラコフからもバスに乗らなければならない。
また一つには、ユダヤに対する興味のなさがあげられるのではないか。
韓国人は多いというが、韓国人はキリスト教徒も多い。また、あの戦争において自分たちも被害者、と思っているだろう。親近感とでも言えるべき何かがあるのだろうと推測する。

クラコフ市内に戻るにはもう一度アウシュビッツに戻り、そこからバスに乗る。
と、バスがやってきた瞬間、また朝の団体がやってきた。
代表者の若い女がバスに乗り込み「さあ、お金を払ったから全員乗って!!」と叫ぶ。
残されたのは、英語圏4人(多分イギリス人)と日本人2人。
イギリス人が言う「これがポーランド・スタイルか!」。
そう、私たち所謂、先進国組はモラルを考える。
生きるのに必死な人たちは、そんなことまで考えてる余裕はない。...というよりも、まだモラルを知らない人たちも多い。
このような、道義だのなんだのと考えるような場所にきて、そういう行動にでれる、その神経に感服、と思うよりも通常の世界では失礼だと思われているとわかっていないと考えるほうが納得できる。
30分近く、寒いなかバスを待ち、今度こそ、と意気込むイギリス人たちを一緒にバスに乗り込んだ。



【2007/11/18 23:10】 チェコから海外へ | TRACKBACK(0) | COMMENT(2)
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クラコフへ
思うところあり、ポーランドのクラコフに行くことにした。

プラハを朝、10時過ぎの電車に乗り、18時近く。
途中、ポーランドのkatowice カトヴィッツエで乗換え一回。
面倒だが、これが一番楽な方法なのだ。
プラハ-クラコフ間はバスは走っていない。
当然、飛行機もない。
8時間近く電車に揺られていくのが一番良い方法とは。
近くて遠い。

この日、プラハはそんなに冷え込んでいなかったけれど、東に走ること暫く、段々と雪景色が広がりだす。
寒いのか…。
そうだった、チェコでも北の地方などはプラハよりも断然寒いのだった。
どうして、こんな寒い時期に行くことにしたのだろ、バカ、私。

乗換えでは時間が30分だけあったのだが、電車が遅くなり5分しかない!と思ったらその電車もしっかり遅れていた。
どうして始発電車が遅れるのか納得しがたい...何が原因なんだろう。


【2007/11/16 23:28】 チェコから海外へ | TRACKBACK(0) | COMMENT(3)
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Protože to je tvoje práce:だからアンタの仕事だってば。
ようやく学生証を手に入れた。
学校は10月から始まっている。
言い分としては、「今年からシステムが変わって…」
「変わったからといって、何?そんなの関係ない」
というような、日本基準の仕事をここで求めると思わず自分は愚かで世間知らずな人間なのだ…と思い知らされる。
学校側窓口の人間が、言った。
「どうして皆、私のとこに来るの!?私知らないわよ!」
え?
…ちょっと、大丈夫?落ち着いて。さあ、仕事して。あなたの仕事よ。
そこまで言い切られると、こっちが自信がなくなってくる。

日本でも混乱したりして仕事がうまくいかないことは、あるだろう。
しかし、自分の仕事を知らない、とまで断言できる人には、あまりお目にかからない。
これ、日本で言ってしまったら大問題だろう。
他のヨーロッパ諸国でも、人によって言うことがバラバラなどというのは日常茶飯事だとは思うのだが、此処まで言ってしまうのだろうか。
…ちなみにアイルランドではあんまり困ったことはなかった。…尤もここのやり方に慣れてきてしまっている私はかなり立ち回りが上手くなっていたかもしれないが。

仕事ができないのも、許す。
(ウソ。チェコ人はそういう話をすると彼女は仕事ができないんだ、と言うのが常だけど、こんなアホみたいな仕事誰でもできる。)
その場しのぎのウソで、その場しのぎで逃れ、人を不快な思いにさせる。
結局、やらないといけないのに。
全くナンセンス。
大学で教鞭をとるような立場にいる人が、そのような行動を取ってしまうことの情けなさ。

ついでにいうと、カードを発行してくれるところでも、
もう一段階、落とし穴があり、
できないと言われたものを、日を変えて(つまり違う係員を狙って)行ってみると、発行してもらえた。
ここで生きるには、相手が仕事ができないのだと思ったほうがいい。
一々、真に受けて動いていると「やっぱり意味なかったんじゃん」というハメになる。
こんなことに慣れたくないし、慣れてはいけないとも思う。
(慣れてるけれども)

「あなたの事情は私には関係ありません」
「それはあなたの仕事です」

それを軽く、しかしながらハッキリ伝えてあげることがとても重要だと思う。
やりすぎるとヒステリーが始まるので、おだててあげて、冗談も忘れなく。
強気と(ゴリ押し)と煽てと冗談。
あまりにも無責任な発言をされて、ポカンとしてしまっている場合じゃない。

「義務、それはチェコ人の知らない言葉だね」
と、友人のチェコ人が笑っていた。



【2007/11/14 17:46】 チェコで独り言 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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ベルギー8
午後の便でプラハに戻る私のために、友人がエスカルゴ料理を作ってくれることになった。
エスカルゴはチェコでも取れる。
が、取れるだけであり、ほぼフランスに輸出しているとのことだ。…チェコ人は本当に食に対して興味がない…。

買い物に行く。
勿論、ついて行くことにする。

広い。
倉庫のように広いけれども、業者向けのようではなく主に一般客が来ている。
supermarket 01

それでもちゃんとチーズも少量ずつからも売っている。
バラ売りコーナーはない。
人件費削減だろうか。

supermarket 03

supermarket 02
ずらりと並ぶワイン。
…これ、此処では普通なことなのだろうか。
試飲もできた。

エスカルゴは定番、エスカルゴバターと赤ワイン煮の2種。
ランチだというのに、昼間っから美味しいワインを呑んでご機嫌な私。

海産物もたくさん食べたけれども、
一週間、野菜をたくさん摂取したように思う。
野菜、美味い。
チェコの野菜よりも水々しいような気がする。
プラハに戻って何を食べればいいのだろうか…。

【2007/11/02 23:44】 チェコから海外へ | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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ベルギー7 Bruxelles ブリュッセル-5
Center Belge de la Bande Dessinee 01
Center Belge de la Bande Dessinee ベルギー漫画センター。
日本でもそこそこの知名度を持つタンタンは、ここベルギーの生まれだ。

Center Belge de la Bande Dessinee 02
建物は例によってアール・ヌーヴォー。Horta オルタ作。
ホール部分が吹き抜けになって、光が刺し込んでくるくるような設計は自宅と同じ。

タンタンだけではなく、その時代に活躍した漫画作家、そして漫画の歴史などが展示されている。
…手塚治虫やトキワ荘のような印象をうける。あの時代の漫画も小さなコマ一つ一つ、きっちりを描かれるタイプのものだ。漫画黎明期。

さて、海外コミックス(アメリカもの含む)に詳しくない私、TINTINというものが一つの漫画だけを指すものではなく、週刊誌だったということを初めて知る。
Center Belge de la Bande Dessinee 03 

Center Belge de la Bande Dessinee 04
ここはベルギー。もちろん、フラミッシュ語版だってある。「KUIFJE クイフゥイ」
この雑誌は現在では廃刊に至っているけれども、このような現代的な漫画も。
1階にあるおショップではいろんな漫画が、売っている。勿論、日本の漫画も。…コミケがあることを知る。

小腹が空いていたので、カフェでオムレツ。
このオムレツみたいなクレープみたいな薄い記事にハムやら野菜やら、というスタイルになんとなく慣れていない私。
ベルギービールはアルコール度数のわりに、何と言うか「デザートビール」のように甘くて物足りなさが否めない。
明日で、ベルギーから離れる。
その割りにビールを呑んでいなかったことに気づく、ので、もう1軒。

カフェ 猫
カフェのなかに猫が。
居酒屋やレストランに犬がいることがものすごく多いのがチェコ。その遭遇率はドイツなどを凌駕している。が、あまり猫はみない…。
猫を見たのはここが初めてではない。
ブリュッセルでは猫も一緒にカフェに行くのか…?
悠々と毛づくろいをする猫。

今日は家でごはん…というよりも、オムレツやらビールやら中途半端な時間に食べ、夕食を食べられないダメ子ちゃんな私。


【2007/11/01 23:09】 チェコから海外へ | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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