椿日記
-チェコにて-まだ性懲りもなくプラハにいます。

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椿
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  • チェコ共和国、首都プラハにいます。
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クリスマス直前の前
こんな話が続いているけれども、別に下向きでいきているわけではなく。ただ淡々と過ぎていくのをみているような、そんな心持。

街はいつの間にかクリスマスに。徐々にマーケットも開けてくる。
svařak:スヴァジャーク(ホットワイン)の美味しい季節だ。ハッキリいってカフェで呑むほうが数段美味しいが、マーケットで寒いなか呑むのは、それはそれで美味しい。ちなみに私はカフェで出てくる、砂糖の入ってないものが好きだ。

namesti.Mir

今はクリスマス前の深々としている時期で、直前になると、お掃除を始めたり、プレゼントを買わなければならなかったり、お菓子を作ったり。私はお菓子は作らないけれど。プレゼントはこまりものだ。ハッキリ言ってプラハで「これ!!」というようなステキなものを探すのは至難の業。それでも、少しでもその人にあった(そしてお値段も高すぎではいけない)ステキなものを見つけなければならないのだ。

11月初めに何日か雪が降ったものの、それからは全然雪も降らない暖かい日々が続いている。

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【2006/11/27 21:47】 チェコで暮らす | TRACKBACK(1) | COMMENT(2)
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自分の属する世界
旦那が帰国した。
そんなわけで先週は呑んでばかりだった。別れには、とかくアルコホールがついてまわる。日本でもチェコでも、世界共通の理。

たった一年すこししかいず、チェコ語もろくに話せないけれど、人当たりの良い彼のお別れパーティにはたくさんの友達が来てくれた。
尤も、これだけの人数に声をかけてくれた友達に感謝すべきだろう。彼自身は何もしていないのだから。
お店や時間を決めるのも、友達に声をかけるのも全て友達が勝手に仕切ってくれたのだ。
社会で生きていくのに有益な術は何一つ持っていないけれど、彼らは彼らなりに、人生を楽しんでいる。自分たちがそういう人間だということはわかっていても。
別れにあたって、少々風変わりだが、彼らにとって大切なものをくれようとする、そんなところは、とても心地いい(貰った方は当惑するものばかりであっても)。
彼らの私たちに対する礼は、なまじ学歴のある人たちよりも篤いように思う。私たちのような人間は今まで彼らの世界にはいなかったのだろう。
「日本人」という外国人で、チェコ語を習っていて、ある程度のお金を持っていて(彼らよりは...という程度だが)、それでも、彼らと対等に付き合おうとして、同じホスポダに通おうとする酔狂な人間はこの階級社会にはありえないのかもしれない。常にそれを考えながら彼らとつきあってきた。彼らの世界を傷つけず、自分の尊厳を崩さず。
正直、彼らがあまりにも、貧しいことに心が疲れを感じることも多い。
美味しくない白ワインをスプライトで割るようななかで。
これから先、その中に一人で佇むことが増える。ずっとそれを思ってきた。

ボブ・ディランの言葉に「自分の属さない世界に行ってはいけない」というものがある、そんな話を友達として以来、自分が属す世界はどこにあるのか、常にそんな思いを念頭においてきた。
この国において、「日本人コミュニティで生きる」「外国人として生きる」「チェコ人側で生きる」そんな選択肢があげられる。
そう、ここではお金さえ払えば、日本語だけで生きることも英語だけで生きることも可能なのだ。
そして「チェコ人側」という選択は、この国では利口な選択ではないのだ。ちなみに「チェコ人」にも幾つかわけることができて、「外国人側にいるチェコ人」と「外国人側にいないチェコ人」というカテゴリーがあるように思える。
勿論、どれか一つに絞る必要などないのかもしれない。それでも、メインとなる「自分の居場所」は自ずとできあがるだろう。

しかし、残念ながら、このお別れ会の最中、2軒目のお店において、既にそこにいた顔見知りに挨拶の握手をしているとき、私の脳裏には「良くも悪くも、ここが今、私の居場所なのだ」という思いがよぎった。

汚い、ホスポダとも言えないようなホスポダで。
ほんの3ヶ月前まで、私は外国人側でもチェコ人側でも、両方の世界で生きているつもりでいた。そこにいる「日本人」として。
しかし、今、外国人側にいないチェコ人の中で、私は一人「日本人」として生きていくんだ、ということを突如として、穏やかに理解した。

彼らの世界を否定せず傷つけず。
私にはもうわかっている。
彼らは自分の世界から出ようとしないわけではない。知らないだけなのだ。知りたがっていることにたいして誠意を持って答えないことは、彼らの礼に対して、非礼である。
人は言葉がなくてもそれを感じるだろう。
自分の尊厳も彼らの尊厳も、傷つけず。
彼らが私を受け入れてくれる限りは。

【2006/11/20 23:04】 チェコで独り言 | TRACKBACK(0) | COMMENT(2)
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11月13日 特になし
これと言って、することのない日々が過ぎていく。
こんなにも何もない時間は人生初のように思う。何をしているかといえば、ちょっと勉強して、だらだらしながら、呑み歩いているのだ。
来週から、人生初の「一人ぐらし」が幕開ける(正確にいえば、ルームメイトがいるので一人暮らしではないけれども)。楽しさ半分、怖さ半分。

少し前から、街ではクリスマスの飾りつけもすすんでいて、もうすぐクリスマスマーケットも出てくることだろう。
部屋には去年マーケットで買ったツリーを既に飾った。(なんといっても、チェコではクリスマス前のイベント、ミクラーシュの日がある。)日本のようなプレゼント商戦はやってこないこないけれども、キリスト教徒でもない私も、街が彩られていくにつれて、心が躍る。
と、同時に、日本と違う、お店の活気の変わらないところ、街路樹につけられたネオンのいい加減さ、にチェコだなあ、と感じる。このネオンなども日本のように一気に飾り付けをするのではなく、徐々に進展していくのだ。勿論、撤去もスローライフ。

冬がやってきて、夜のプラハ城をとりまく空気がしんとしていて、美しくなってきた。
夜の美しさと反対に、昼は曇天が続く。
まだ一度しか経験していないプラハの冬だけれども、実はそんなに嫌いではない。
日本のなかでも温暖な気候で、過ごしやすいところでずっと過ごしてきた私は、チェコの冬を大層恐れてこの土地にやってきたのだけれども、真冬の真夜中の旧市街広場は私のお気に入りの場所になった。

クリスマスツリー


【2006/11/13 23:09】 チェコでの記録 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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チェコの冬がやってきた
この一ヶ月の間に、いろんなことがあり。仕事を続けられなくなった。
理由は簡単。
ビザである。
チェコ人のいいかげんさには毎度のことながら辟易させられるが、段々自分の感覚が鈍くなってきているように思う。とはいえ、今回のことはさすがに自分にとって大きく、朝の4時近くまで友達につきあってもらった。
海外(チェコ)に住むということは、たとえ留学でも、仕事でも、大変だということは、わかって来たつもりだった。私はこの国に興味があって来たけれども、理想郷だと思ってきたわけじゃない。それでも、嫌になることはある。
自分が落ちているときに、自分を主張するのは疲れる。本当にエネルギーを必要とする。
しかし、私にとってそこで溜め込むことのほうがストレスになる。それがわかっているから、納得するまでは叫ばなければならない。

結果は、まあドローと言えるだろう。
少なくとも私はがんばって仕事をして、自分の仕事内容にそれなりに満足できているし、私のクリエントたちも私を望んでくれた。
でも、一番欲しいものは手に入らない。
いつものことだ。

ちなみに、この話には、日本企業も関係している。
Kolínに工場のある、といえば理解していただける人もたくさんいるだろう。
個人の力は、あまりにも小さい。

足掻いて、辞めさせられて、お金をもぎ取って、そして今日、私の可愛いクリエントたちを最後に会う機会を設けてもらえた。(設けてくれたのは企業には全く関係がない。お招きいただき、ありがとうございましたváclav校長先生。)

Velky Osek1
可愛いクリエントたち。

一番気に入っていた仕事場だった。
小さな村に小さな駅。
そんな村に似合わない新しい道路を車がスピードをあげて走る。工場ができて、道ができた。森が削られた。そして学校の庭にはその企業から送られたというアスレチックが。この村に初めてきたときに校長先生が、学校への道を一緒に歩きながら話してくれたのを思い出す。
歩いて行く私に気づいた子供たちが、まとわりついてくる。
短い期間しか接することもできず、まだまだやりたいことはたくさんあった。私の拙いチェコ語によく我慢してくれたと思う。子供がこんなにも可愛いとは私自身、とても意外だった。(どこの学校でもガキ大将に気に入られたのも意外だった...。なぜ...?将来この村に行くと誰もが私に挨拶をする、そんな夢を目論んでいたのに。)
Kolin ZS6


この件については、私が突然、来れなくなることを子供たちに伝えるのがとても辛かった。私のせいじゃない!と声を大にして言いたかった。企業が当事者である子供のことを何も考えてないことに何より腹が立っていた。
でも、もう私にできることは何もない。
Velky Osek PARTY


たくさんの持ちきれないほどのプレゼントをもらって、すがすがしく、寂しい気持ちで電車で揺られてプラハへ帰ってきた。
プラハを離れることを決めた。
また、帰ってこられるかどうかは確かではないけれど。
何故この街に戻って来たいのかは自分でもわからない。

この村では本日、初雪を迎えた。
プラハでは昨夜。
チェコの冬がやってきた。
【2006/11/02 23:38】 チェコで独り言 | TRACKBACK(0) | COMMENT(2)
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