椿日記
-チェコにて-まだ性懲りもなくプラハにいます。

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椿
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想像
友人たちと「迷宮の国のアリス」というところでご飯をたべてきた。
いわゆるアミューズメント系居酒屋というところだ。

その中での会話。
「昔、取っていた授業の試験で『アリスは何回大きくなったり小さくなったりしたでしょう?』ってのがあった。」
「首だけ伸びてたりもしたよね。」
「ろくろっ首じゃん、アリス」
「…そういえば、そういうお化けは洋物ではいない?」
「いないね~。そういえば人型なのが多いね。(←ろくろ首も人型)」
「で、爵位がついてたりするねー。」
「傘(唐傘おばけ)とかいないもんねぇ。」
「あ・でもオオカミ男は?爵位ないよ。下男?」

つまり、何が言いたいのかと言えば。
西洋では、形がないものが苦手なのではないかと。
PJ版指輪映画でバルログを初めて観たときの違和感。
私は、想像もしていなかった形を見せられたからだと思っていた。
しかし考えてみれば、想像も何も、私は炎そのものを想像していたように思う。
トールキン作者本人はバルログの形状について言及していなかったような気がする(未確認)。
「PJは観ている人に想像することを求めたんだ(する楽しみを残したんだ。だったかも。これまた未確認)」とビリー・ボイドが話していたように思う。
が、…どこが?
火の神という発想自体、理解できたのだろうか?と思ってたりする私である。

映画を観てから、本を読んだ人はどう思っているのだろうか?
私も、読んでいるときに俳優の顔が浮かぶとこもある。
原作と同じセリフだと、役者の声を口調で考えてしまうこともある。
映像は恐ろしい。
私がFotRにはまれなかった理由の一つだと思う。
視覚的に認知すると想像という力を制御してしまうように思う。

それと同時に日本人の想像するものと他民族の想像すうものが違う、ということも考えさせられることだろうと思う。

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【2004/05/09 02:24】 日本での記録 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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