| 「英語を学べばバカになる-グローバル思考という妄想-」 |
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「英語を学べばバカになる-グローバル思考という妄想-」 という本を読んだ。
筆者が忘れているのは 世界には、たくさんの種類の「英語」が存在する、ということだ。 英語はアメリカ英語をさすわけではない。 先日、授業中にstadard English:標準英語という話になった。それは言い回しに関することについてのときであり、イギリスの南部という狭い地域で使われている言葉こそが、標準英語だという。 確かに、今の日本の現状ではアメリカ英語が優勢である。義務教育で教えるのが米英語だからだ。 それゆえ私は英語というものが好きにはなれなかった。 どうも私は強い強弱アクセントを持つ言葉が好きではないらしい。 同じポルトガル語でもポルトガル人のポルトガル語が一番好きで、ついで多くは3種に分類されるというブラジル・ポルトガル語も派手にアクセントをつけない順に耳が心地よいという。
今の私にとって第一外国語はチェコ語。第二外国語は英語。 この筆者はフランス語であり、フランス贔屓がものすごい。フランス一国の例をとることが多すぎるし、また参考文献などからの引っ張りもとても乱暴であり、とても理論的とはいえないのが悲しいところだ。 英語からの情報に偏るころに警鐘を鳴らしている姿勢には共感できるが、 正直にいって、英語は世界の共通言語である。残念ながら。 日が沈まない大英帝国の影響もあるだろう。しかし何と言っても英語は簡単なのだろうと思う(自分ができないくせに、こんなことを言うのは僭越だが) インド・ヨーロッパ語のカテゴリに入る人たちからすれば勿論。アジア人にとってもいろんな文法からみて許せないほどではないのだろう。シンプルなのだ。 アメリカ人・英語人が他言語を話せない人が多いというのは、まさに教育のせいであって、英語のせいではない。なぜなら、英語人こそ他言語を話す必要せいがないからだ。 ある程度のマトモな人であれば、言語を学ぼうとしている人はたくさんいる。アメリカ人だって。チェコで友人のアメリカ人は、チェコ語の学校に在籍しながら勉強する気のないアメリカ人をバカにしていた。彼女自身も英語だけで生活できてしまうことは有利であり、また不利であることもわかっていた。 ちなみに英語人だって何ヶ国語も話せる人がいることもお忘れなく。ヤツらは似たような言語がたくさんあるのだ。
余談だが、チェコにいるときによく思ったものだが、チェコ人は言語を学ぶことをそんなに大変なことだとは思っていない人が多かった。 ある程度メジャーな言語は自分たちの文法よりも簡単だからだろうと。言語について知らないのだ。実際日本語を習っている人に言わせると「難しい」と口を揃えて云う。 現在の私の英語の先生、アイルランド人は日本人や韓国人が英語を学ぼうとするのは凄いと思う、私には日本語を学ぼうなんて思えないと言い、私がチェコ語をしていたと聞けば、スラブ語は難しいのに凄い、という。ちなみに彼はフランス語ができる。
また、筆者はいう。人口の少ない国ほど英語が必要になるという。何かを勉強するには英語の文献を読まなければならないからだと。 これについては私はハッキリ否定したい。 人口と経済の発達。つまりは独自のマーケットをもてる国が英語が必要のない国だと。日本もフランスも必要がない。そうでなければ「良い仕事」を得るためには英語は必要になるのだ。 今の日本では英語の必要性は絶対ではないだろう。それでも、上のクラスにいくには英語は必要であろうし、また英語以外の1・2言語があればいいだろうと思う。英語だけでは今はダメであろう。その際、求められるのは当然メジャーな言語だ。マーケットになる言語。
必要だから英語をする。その姿勢には賛同するが、現在の私は学生だった私に言ってあげたい。私は将来、その自国の言語だけでは厳しい国に行きたいと思う。だから英語が必要になる、と。
社会思想から教育問題まで、ともかく引っ張るには「英語」という主題ではムリであり、また、このような文体、主張で「新書」という本が出版できるようになったことに対して考えたほうがいいだろう。 ちなみにこれに関しては、この本ばかりではなく感じる。現在、日本語で読める文献が限られている状況にいる今、美しいものしか読みたくないのだ。 美しい本を提供してください。
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【2007/06/01 20:35】
本
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